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鮎家の豆知識

鮎、あゆ、アユ、ayu

 滋賀県の琵琶湖の幸として、代表するものは鮎です。
鮎は、日本人に古くから親しまれ続けられてきた歴史をもつ食材のひとつです。
縄文時代の琵琶湖の湖底遺跡(粟津貝塚)から、アユの骨が出土しています。
奈良時代、平安時代には、都へアユの仔魚(氷魚<ひうお>)が献上されています。
冬から早春の時期のアユの仔魚(氷魚)は、あまり日持ちがしないので、捕獲してからすぐに熱を通したもの(氷魚の釜揚げ)と考えられます。氷魚は、山城、近江の特産品とされていました。また、アユが一年で一生を終えることから名付けられたとされる「年魚」の加工品が、日本各地から運ばれています。「火乾年魚」「煮乾年魚」「煮塩年魚」「塩塗年魚」「塩漬年魚」「押年魚」「鮨年魚」「内子鮨年魚」「氷魚」と『延喜式』に記されています。この時代は、漢文が主に使われていましたが、漢文だけではうまく表現できないと、ひらがなが作られ始めました。文字の位置関係にも意味があり使い分けたと考えられます。
そのひらがなのきっかけを作ったとされる空海の著といわれる書に、「鮎の羹」(羹:現在のお吸い物)の記述があります。

室町時代には現在の日本料理の原型がつくられた時代とされています。
『四條流包丁書』には、
「一、スシノ事。鮎ヲ本トスベシ。但何ノ鮓成共モノ、下ヲスルコト不可有之」
「一、 鮎ヲ串二可差事。春ヨリ七月中旬迄ハ頭ヲ上ヘナシテサスベシ。其後ハ頭ヲ下ヘ成テ可差也。上リ鮎ノ時ハ頭ヲ下ヘシテ可差也。」
とあります。その他いろいろな書あり、「のぼり鮎もくだり鮎も。鮎は本膳にむき候」と記されたものもあります。大阪の石山本願寺(大阪城が建てられる前に存在した)の『石山本願寺日記』に、
 「天文五年八月十五日 従賀茂社家、鮎生重箱に一ツ到来候」。
とあります。現在では不思議な感覚ですが、社仏を分離する政策が行われる前なので、普通に行われていたようです。

江戸時代には下層階級にも食文化が広がりをみせはじめます。
「すし」をあらわす文字の変化で、「鮨」「鮓」という文字から「寿司」「寿し」という即席料理をあらわす文字がみられます。(にぎり寿司などに代表されます) 『料理物語』には
 「鮎 なます。汁。さしみ。すし。やきて。かまぼこ。白ほし。しほ引きにしてさかな。さかびて。同うるか。子なしもの。同子を生にていり酒かけよし。」
などと記されています。その他『本朝食鑑』『魚鑑』などには、効能が記されています。漢方(漢のほうからきた学問)に、自然のものはすべて効能があるとされた考え方から調べられてと思われます。

明治以降の文献では『日本の食事辞典』に、日本各地のアユ料理が紹介されています。
「あめ炊き」「鮎の佃煮」「うるか」「このわた」「塩焼き」「醤油煮」「干し鮎」「焼鮎(あいぎょ)」「あゆずし」「あゆのお汁」「あゆのくされずし」「あゆのでんがく」「あゆの塩まき」など紹介されています。

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